池谷先生といえば、体育教諭・柔道の顧問として我が校で多くの生徒の指導にあたってくださいました。
皆さんの中にも、柔道場にて池谷先生にから学んだ「柔よく剛を制す」懐かしく思い出す方がいらっしゃるのではないでしょうか。
先生を慕う生徒は多く、ケンカばかりしていた生徒にも厳しいながら温かい愛情を注いでくれた池谷先生、今も元気でお過ごしです。
城西大学附属城西高等学校に就職したきっかけ
池谷先生は、城西高校を卒業後、警視庁にて2年勤められ、その後、城西大学の1期生として入学。大学3年の頃、教員免許を取得、当時の進藤会長から「うちにこないか」との誘いを受け、教師として教壇に立つことを志していた先生は、大学3年の12月、城西大学付属中学高等学校で指導にあたることになりました。
在任中の思い出
池谷先生といえば何を思い出しますか?やはり「黄色いジャージ」を思い出す方が多いのでは?
先生のトレードマークともいえる黄色いジャージ、今も大切に保管されていました。先生の羽織った黄色いジャージを見ると当時の思い出が鮮やかに蘇ります。城西大学付属城西中学高等学校在任中、体育教師だけでなく、その知識を活かし商業一般、世界史、簿記の授業も受け持った池谷先生。生徒からの信頼も厚く、今でも「池谷先生」と言えば顔と名前がすぐ思い出せるという声も少なくありません。それだけ生徒の中に溶け込み、慕われていた池谷先生ですが、時にはその情熱がいきすぎることも…
「20人くらい坊主にした」と突然言い出す池谷先生。
ある日のこと、生徒達が先生との約束を守らなかったことがあったそうです。すると池谷先生「坊主だな」と一言…20人全員、しかも、校内でバリカンを使い生徒達を丸刈りにしてしまったのです。生徒達も文句を言うでもなく「すみません」と素直に揃って丸刈りになったとのこと。これ、今ならニュースになりそうな事件なのですが、時代背景と共に何より、池谷先生と生徒たちの信頼関係があったからこその出来事ではないでしょうか。生徒の為に常に一生懸命だった池谷先生にこんな武勇伝があったとは…驚きですね。33年間の在任中は話しきれないほどの思い出があったのでしょう。急に黙り込みじっと胸の中で噛み締めている姿がとても印象的でした。
現在の池谷先生
城西大学附属城西中学高等学校を退職されてからは、東京武道館、中央医療専門学校などで勤務し、今年(2016年)72歳で現役を退かれました。今現在は、趣味である絵を描いたり、年に2回、担任を受け持った生徒や柔道部の生徒を自宅に招き、BBQをするのが楽しみだと仰っていました。これからまだまだ続く人生、楽しみがたくさん待っているようで、何をしようか迷っていた池谷先生。笑顔でインタビューに応じてくれたことを心から感謝します。
今回、池谷先生がインタビューの中で在任当時を振り返った時、「一生懸命やってただけだよ」とポツリとつぶやかれた言葉がとても印象に残りました。生徒を想い教師としての志と熱い情熱でただ、がむしゃらに走り抜けた教員時代。行き過ぎたこともあったかもしれませんが、すべて良き思い出となり記憶に残っていることでしょう。
愛情深く私達を導いてくれ、時には父親のような気持ちで見守ってくださった池谷先生。人間はみんな時代の影響を受け大人になります。時代の影響…幼かった私達には学校教育の場と家庭が大きな役割を担っていました。池谷先生は団塊の世代、昭和というものは「人と人との関係が密接だった時代」と私は思います。
生徒の為に「一生懸命やってただけだよ」と言い切れる先生に巡り会えたことを感謝すると共に池谷先生、ご自愛下さい。
また、お会いできる日を楽しみにしています。